思えば、痛い視線を感じるのは今に始まったことではない。格の違う家庭環境で蔑まされ、その侮蔑的な態度で嫌われてもいる。そんな立場を、美鶴は密かに心地よいとすら思っていた。
実力では美鶴に適わない輩の負け惜しみだと、逆に見下ろしていた。
だが聡と山脇の登場により、無理矢理校内芸能ニュースの中心にひっぱり出され、連日女子生徒のうんざりするような攻撃。
そしてさらに、我が家が火事で全焼という興味をそそるような話題の中心人物となり、美鶴の周囲はさらに騒がしくなる。
傍目に見れば、それほど騒がしくはないだろう。それは、耳ではなく肌で感じる喧騒なのだ。
くだらない 気にするな
そう自分に言い聞かせる。なのにどうしても苛立ってしまう自分に、腹が立つ。
お陰で授業には集中できず、結局は最悪の一日となってしまった。
疲れたな
こんな時、いつもならあの駅舎で午後のひとときを堪能しながら心と身体を癒す。だがきっと、あそこにも静寂は望めないだろう。そうなると、駅舎で午後を過ごすこと自体が無意味になる。
だが、霞流との約束がある。
説明して鍵を返すにしたって、どう説明すればいい?
大きくため息をつき、ガリガリと頭を掻く手首を、後ろから捕まれる。驚いて振り返る先で、大きな瞳が笑った。
「今日は駅舎へ行くの?」
「……霞流さんとの約束があるからね。行かないワケにはいかない」
下校する生徒の視線を感じながら、美鶴は少し乱暴に腕を振り払った。山脇は、あっさりと手を放す。
「じゃあ、行く?」
「…… なんでアンタが来るワケ?」
「いけない?」
ゆったりと返す口元が形良く笑う。
「別にいいでしょ? 僕が放課後をどこで過ごすかなんて、僕の自由だし。それに、あそこに入る許可はもらってるもんね」
ヤなヤツっ!
口で敵う相手ではない。
ズンズンと足を進める美鶴の後ろを、余裕の足取りでついて来る。
「ついて来ないでよ」
「どうして?」
「来て欲しくないからっ!」
思わず振り返り、そう怒鳴る美鶴の目の前で、山脇は嬉しそうに笑った。
「なっ! なにがおかしいのよっ!」
だが山脇は、軽く握った右手を口に添え、声を抑えながら肩を揺らす。
くっくっくっ……
「なっ!」
カッと頭に血が上り、目の前がクラクラする。
そんな美鶴を見て、込み上げる笑いを押さえ込んだ山脇が口を開いた。
「だいぶ威勢が良くなったなぁ と思ってね」
「威勢……って」
「うん。大迫さんはその方がいい」
頷く相手の言う意味を、美鶴はようやく理解する。
同時に、自分の失態に腹が立つ。
他人を気にせず、他人に惑わされず、他人に関わらない。
だから、美鶴が誰かの言葉に声を荒げることなどほとんどなかったし、それがまた他の生徒の不評を買っていた。
他人の不評を買うほどに、美鶴は満足すら感じた。
「その方がずっといいよ」
だが最近、自分を抑えられなくなってきている。
聡と口げんかをしてしまったり、山脇に声を荒げてしまったり……
また、昔の私に戻ってしまう。
二人がそれを望んでいることはわかっている。それを望み、そうなるよう意図的に仕向けているのも、わかっている。
だからこそ、そうなりたくない。
それは、天邪鬼的な感情だけではない。
昔になど、戻りたくはない。
下唇を噛み締め、山脇に背を向けて歩き出す。その後ろを、相変わらずのんびりと、だがぴったりとついてくる。
「どうしてそんなに無理をするの?」
「無理なんかしてない」
「してるよ。本当の大迫さんはそんな無愛想じゃない。昔の君はそうじゃなかった」
「これが本当の私。昔の私は私じゃない。無理をしてるんじゃない。自分を変えようと努力してるだけだ」
「今の君も本当の君かもしれない。でも、昔の君も、君だよ」
「わかったようなコト言うな」
「そんなに、昔の自分が嫌い?」
「嫌い」
「どうして? 可愛いのに」
「可愛いなんて言うな」
精一杯抑えた声は、擦れてとても聞き取りにくい。だが、山脇には十分の声。
「まだ、信じられない?」
「何が?」
「僕のこと」
………
「大迫さん」
唐突に肩を抑えられ、振り向かされる。その力強さによろめき、思わず相手を見てしまう。
「なによっ」
「僕のこと、嫌い?」
あまりにまっすぐで、率直な視線。言葉が詰まる。
嫌いだ
そう一言告げれば済むコトだ。そうすれば、コイツが私の周囲をウロウロすることもなくなるはず。
だが美鶴は、言葉にできない。
嫌いだという一言が、口から出ない。
こんなヤツ、ウザいだけだ。嫌いだ。
彫りの深い顔の、奥まった場所に位置する二重の瞳から注がれる鋭い視線。大きく円らで優しいその瞳に、何度も言葉を奪われてきた。
そうだ。美鶴は、山脇に見下ろされると、言いたい言葉が出なくなる。
悔しい―――っ!
その思いに身が震える。
「大迫さん?」
原因はわからないが、美鶴の異常には気付いた山脇。だが、その言葉の先も、それに対する美鶴の言葉も、真横からの声に遮られる。
「大迫様」
恭しい言葉と共に車の窓が静かに下りた。皺深い顔が現れる。
「木崎さん」
霞流慎二の家の者だ。使用人の中では、一番彼に近い人物だと思われる。
その木崎が、黒塗りのセダンの後部座席から顔を出し、静かに美鶴へ声をかける。
「お乗りください」
「は?」
「お送りします」
「お送りって……」
ポカンと口を開ける美鶴に、だが木崎は無表情のまま言葉を続ける。
「お母様のお勤めの場所まで、お送りします」
「はぁ?」
ますますワケがわからない。
「お母さんの店まで? なんで? ……ですか?」
「お母様からお電話がありました。お急ぎ美鶴様とお話したいとのことです。なんでも……」
そこで木崎はふと言葉を切り、視線を落してから改めて美鶴を見やる。
「火事の件で、警察から連絡があったとか」
あぁ そういえば、連絡先ってお母さんの店の番号を知らせといたんだっけ?
ぼんやりとそれだけは納得できた。
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